2010年8月28日土曜日

三宿城 或は 多聞寺砦 (みしゅくじょう:東京)

東京都世田谷区三宿2付近
 三宿城(多聞寺砦)は吉良氏世田谷城支城(砦)として吉良氏縁の多聞寺の辺りに築かれたと云われています。

 北は北沢川、南は烏山川、この二本が合流する部分は(開拓されたが世田谷区池尻、目黒区大橋の地名が残る)ナドで3方を守られた舌状台地の先端にあります、写真の所を大手とするなら不自然に繋がっているこの道路で台地を分断すればいい塩梅になると思います。
現在の(砦)は小学校の敷地になっていますが、小学校東側の住宅地のほうが少し高地となっているので、そちらの方が主郭では? 
  といっても、開発された今となっては往時の姿はよくわかりません
 
因みに、烏山川に沿って上流に向うと世田谷城、更に遡ると烏山城があり。 世田谷城の出城とも云われている赤堤塁北沢川の上流になります。
*3枚目、東からの台地画像を追加2012/6/15。三宿城 地図
東急線、田園都市線池尻大橋」駅下車 西北西へ 1.1km。 世田谷線三軒茶屋」駅下車 東北東へ 1.3km
京王線、井の頭線池ノ上」駅下車 南へ900m
駐車場:コインパーキングなど
トイレ:なし
近くには、西に2.7kmで世田谷城。 西北西に2.8kmで赤堤塁(砦)、7kmで烏山城。 東北東へ4kmで渋谷城。

2010年8月27日金曜日

江戸築城の石材加工場 (せきざいかこうば:東京)

東京都江東区古石場2~3丁目
歩いていて、たまたま見つけました。町名がズバリ古石場とゆうところで、江戸城や町造りのための石材加工場&置場です。
今は古石場川親水公園となり一部 暗渠になっているようですが、東側には木場があり埋立られる前は海にも近く伊豆などから運ばれた石材がところ狭しと並んでいたことでしょう。

古石場 地図
地下鉄東西線門前仲町」下車 南東へ500m 7分
駐車場:なし
トイレ:未確認

2010年8月20日金曜日

赤塚城 (あかつかじょう:東京)

東京都板橋区赤塚5-35
城主は千葉氏でしたが、小田原合戦北条方であったため合戦後に廃城とされたようです。
 往事、城址の両側は低湿地で田や沼に囲まれていた要害であったと思われます。

本丸跡、二の丸跡、三の丸跡、土塁の残欠が残るだけですが、区立郷土資料館区立美術館跡にあたるようですが如何でしょう?


池で釣をしている方々を横目に当時の地形などを思いっきり想像しながら廻ってきました <--限界あり 




*追加 2015/10/23
郷土資料館

特別展「武蔵の千葉氏」を開催してるので赤塚城内にある郷土資料館に寄ってみました。

展示は千葉氏家系図妙見菩薩像妙見社縁起絵巻ナドの資料中心です。

東京大仏

周辺道路ナドは東京大仏となっていますが正式には乗連寺です。

東京大仏の案内板には千葉氏の城址跡なので千葉氏の供養も含まれると書いてありました。
階段を登ると・・・

石碑には「板橋区史跡 赤塚城二の丸跡」となっています。
これはお寺が独自に建てたような雰囲気ですね~

これにより赤塚城には二の丸跡が2か所あるわけですが、
縄張りは未確定で、便宜的に本丸二の丸ナド名付けているので問題はないようです。





赤塚城 地図
三田線西高島平」駅下車、南へ1km。 「新高島平」駅下車、南西へ1.1km
駐車場:コインパーキング等。 公園内には見た限りでは無し
トイレ:あり

近くには、東南東に志村城、南に練馬城、南西石神井城がある

2010年8月16日月曜日

境台場 (さかいだいば:鳥取)

鳥取県境港市花町
国指定文化財
鳥取藩が築いた 浦富浜坂賀露橋津由良赤碕淀江 の8台場の内のひとつで、農民で組織された民兵が守備をしていました。
現地は広い敷地と長い土塁をもち、想像していたよりより状態もかったです。

米子空港が「米子鬼太郎空港」と命名されたり、朝のドラマ「ゲゲゲの女房」の影響で、赤丸急上昇の境港市ですが、町の盛上がりと共に境台場に興味を持つ方が増えることを期待したいですね。(2010年現在)



境台場 MAP
JR港線境港」駅下車、水木しげるロードを東へ 徒歩1.7km 26分。 バスもあります
駐車場:あり。 サクラの名所なので、その季節以外は余裕あり
トイレ:あり
境台場正面に境港市の海とくらしの史料館あり。

近くには、 。北に南に米子城。南南東に淀江台場。 東には松江城 

2010年8月12日木曜日

二つの天守があがっていた 米子城 (よなごじょう:鳥取)

鳥取県米子市久米町
 吉川広家飯山城に隣接する湊山米子城を築城し、3重の天守を建造しましたが、関ヶ原の合戦後に中村一忠が入城しました。
そして、中村一忠吉川氏天守をそのままに(元の天守が小天守になった)、新たに4重の天守をあげたので山上に2基の大きな建造物が林立していました!!

 江戸時代にはいり一国一城令が発令されても破却されず明治まで存続。2基の天守もそれまで残っていたようですから ヒジョーに惜しいことをしました。
残念ながら、火曜日の訪城なので山陰歴史館は休館。米子城天守を模した 妖しい天守 お菓子の寿城もパスの米子でした。

米子城 MAP
JR山陰本線米子」駅下車。 北西へ900m(球場前の案内板まで)
駐車場: 湊山公園 (二の丸のテニスコート隣)
トイレ:あり、但し上部にはなし
山陰歴史館 MAP 火曜休

近くには。 北へ境港に境台場。東北東に淀江駅前に淀江城淀江台場
。 西の安来市に十神山城月山富田城

2010年8月10日火曜日

広瀬陣屋 (ひろせじんや:島根)

島根県安来市広瀬町広瀬
 陣屋は広瀬庁舎小学校の一段上とゆうことで行ってみましたが、その前に寄った米子城月山富田城で時間かかりすぎで慌てて学校周辺を歩き廻りました 汗
なので、現地で石垣陣屋石碑見取り図案内板は確認していませんのであしからず。 写真で見えているの小学校グランド末端堀跡のようです。 
1666年に松平直政(松江藩主)から3万石の分与で立藩(分家)で、のちに城持ち大名に昇格。 以後、明治維新まで存続。
蛇足ながら 大名には、1,国持ち大名 2,城持ち大名(城主) 3、城持ち大名(城主格) 4,陣屋大名(城を築けず陣屋を形成する) 1万石程度で城持ち大名も居れば、3~4万石で陣屋大名も居ます。

広瀬陣屋 MAP (おおよそこの辺り)
駐車場:確認していません。或いは庁舎に付属か?
トイレ:安来市広瀬庁舎など

近くには、飯梨川対岸に月山富田城。安来市内に十神山城。鳥取県に入ると東北東に米子城、東北に境台場

2010年8月8日日曜日

月山富田城 (がっさんとだじょう:島根)

島根県安来市広瀬町富田


 184mの月山一帯が富田城です。
尼子氏の居城で大内義隆が攻めるが撃退 -> 毛利元就が攻め落城、その家臣が入る -> 尼子家再興のため山中鹿介らが起ち上がり富田城奪還 -> 再び毛利氏所有 ->関ヶ原の戦功堀尾吉晴出雲石見を得て入城し石垣を組み整備を行いましたが、利便性などを考慮し、松江城を築城し4年後に廃城。


 まず、歴史資料館でパンフレットなど情報収集。
道の駅裏の尼子興久の墓地から数段の小郭を経て千畳平(せんじょうなり)へ、太鼓壇山中鹿介の「七難八苦」の銅像を見て奥書院へ、ここには主屋侍所が復元されている花ノ壇、その先が山中御殿 ここまでで小いさな城なら1城分の見応え。
広大な山中御殿奥から夏場は厳しい七曲り井戸跡を見ながらダラダラと登ると 突然三の丸石垣が見えてきます。 二の丸からは中海から毛利元就本陣を敷いた京羅木山も見渡せ、復元建物もあり。本丸進むと木が茂り眺望はイマイチ、一番奥には勝日高神社が鎮座しています、ココは蜂に注意の看板があったので、足場に写真を撮って降りてきました。
下り、山中御殿大手から御子守口を降りはじめたらクルマで上がってきた方に山中鹿介の銅像はどこですか? と道を問われました。
山道で止めるスペースも無いし、方向が掴めないのでパンフレット片手に徒歩が最善とおもいます。
山中鹿介銅像MAP山中御殿跡MAP

月山富田城 MAP
駐車場:歴史資料館・道の駅広瀬、併設に無料Pあり。
トイレ:あり 山の上は難しい。
歴史資料館: 大人¥200 水曜休み

近くには、 飯梨川対岸に広瀬陣屋跡。 安来駅の北側700mで十神山城。東北東へ19km走ると米子城、そこから北に向かい境港に境台場+水木しげる記念館。