2008年11月22日土曜日

春日山城 本丸登城 (かすがやまじょう:新潟)

新潟県上越市
たまたま仕事がはやく終わったので、急ぎ足ではありますが春日山城頂上と文化財センターへ行くことができました。

春日山神社謙信公銅像前に駐車して登城しました。
謙信公も見下ろしたであろう日本海と上越の町を眺めると心が大きくなった気になりますね~~
が、ユックリする暇もなく文化財センターへちょっと寄って帰ってきました。
何はともあれ、本丸に立てたし 来年の大河ドラマ絡みの「直江屋敷跡」も見られて良かったで~す♪

春日山城の由来は麓に春日神社があったからだそうです。 神社名からすると奈良の春日大社の分社でしょう? 春日大社の神域「三笠山」に対し、春日神社の神域が「春日山」だったのでは? かとおもいます。

春日山城(livedoor 地図情報)
日本海まで見渡せる春日山城本丸
復元減毘沙門堂。謙信公はココで護摩を焚いたのか、感慨ふかし
直江屋敷跡

2008年9月7日日曜日

本丸まで辿りつかなかった春日山城 (かすがやまじょう:新潟)

上越市

早朝の僅かな時間しかとれませんでしたが、復元された濠と土塁・東城砦・林泉寺と春日山神社をめぐって参りました。

僅かな時間でしたが、じゅうぶんに堪能できました。
写真は後日

春日山城史跡広場地図

  ------画像追加しました------
東出丸より復元土塁と堀
東出丸2段目

林泉寺 伝、春日山城搦め手門

2008年9月2日火曜日

謙信亡き後に勃発した「御館の乱」舞台(おたて:新潟)

新潟県上越市五智1-22
小田原の北条氏康から関東の地を追われた関東管領上杉憲政のために長尾景虎(上杉謙信)が造営したで、謙信の政庁としても使われたと言われています。
現在は、信越本線から僅か数40メーターほど北側にあり、区画整理されたところに御館公園があり説明版があるのみです。


*御館の乱
 謙信亡きあと、二人の養子 景勝(長尾)と影虎(北条氏康7男)の跡目争い、越後を二分して争い約2年間続きましたが、景虎の自害で収束しました。

御館の現況は区画整理事業で遺構は消滅してしまったようですが、発掘時には実射されて変形した鉄砲玉、皿、かんざし、などが出土しています。

徒歩:JR信越本線「直江津」駅から西へ10分
地図(御館公園):新潟県上越市五智1-22


2008年5月17日土曜日

岩殿山城 武田氏の終焉を速めた城(いわどのやまじょう:山梨)

山梨県大月市
岩殿山の東麓には、かつて真言宗寺院 円通寺が建っていました、おそらく岩殿山はこのような岩山ですから修験道に最適だったのかもしれません。  城はその寺院跡も利用して築城されているようです。 町から橋を渡り 岩殿山城の看板の所からしばらく登ると丸山につきます、そこには「ふれあい館」とゆう名の木造模擬櫓が建っています(地図などチラシあ り)。

更に登ると、どーんと両側を大岩に挟まれた木戸跡に出ます、扉は開き戸ではなく上に吊上げる揚げ木戸だったようです。

 岩殿山城 地図
駐車場:桂川にかかる橋を渡って すぐ左手に無料Pあり

2008年5月13日火曜日

水戸藩の別荘「い賓閣」と「反射炉」(茨城)

茨城県
ひたちなか海浜鉄道「なかみなと」駅歩道橋からチラリと見える「い賓閣」「反射炉」です。

水戸藩別邸として建設されました。
幕末は海防の見張り所とされていましたが、天狗党の乱で灰燼に帰してしまいました。
因みに、い賓閣のいの字は・・・ 「」の上に「」かんむりです~~

この反射炉昭和初期の再建で、徳川斉昭公が造らせ、大砲6門製造したそうですが、天狗党の乱で破壊されたようです。


い賓閣から500mほどに那珂湊市場があり賑わっており、ネタがデカイくて新鮮!回転寿司もありますよ。
せっかくですから昼食はそこでゼヒ!

もちろん新鮮な魚介類も安く買えますよ、わたくしは盛期の岩蛎をその場で開いてもらってレモンを絞って食べました♪

い賓閣地図
反射炉地図

2008年4月9日水曜日

桜の江戸城 千鳥ヶ淵。(ちどりがふち:東京)

江戸城千鳥ヶ淵の桜 がきれいだったのでマタマタ首都高速道路上からです~ (注 わたしの運転ではありません)
画像は千鳥ヶ淵から北の丸を見上げたところ、下部は腰巻石垣、中間 部は土、上部は鉢巻石垣で、江戸城内堀西の丸から北の丸の西側はおおよそこんな造りになってます。この辺りを見る度に思うのですが、人足が掘ってる最中に地下水が噴出したり岩が出てきたりで難工事だったとおもいます~  ともかく昔の人はスゴイ!!

2008年4月8日火曜日

全山、郭で武装された皆川城 (みながわじょう:栃木)

栃木県栃木市皆川城内町
この撮影は助手席からです、念のため!
東京から東北自動車道を走り、栃木I・C手前の左手に見える削平された山が皆川城です。山1つが階段状の腰郭が見え、なにやら楽しげな山城ですね~いつも高速から眺めているだけで現地には未だ行ってないです、今年こそは訪れようと思ってます・・・
 城址遠望だけですが、走行中に見るとこんな感じですよ!
皆川氏の居城で、しだいに後北条氏に圧迫され その傘下に入りました、豊臣秀吉による小田原合戦が起こり、家臣を連れ小田原城内の守りについていた皆川広照は早々に秀吉に通じて安堵されたが、既に皆川城落城の憂き目にあっていました。


 徒歩両毛線東武日光線栃木」駅下車、北西約6Km、バスかタクシー
クルマ:栃木I・C下車、皆川城カントリークラブを目指し、その南の山
駐車場->不明
皆川城 MAP
 

2008年3月25日火曜日

秀吉の九州責めで最後まで抵抗した城、平佐城(ひらさじょう:鹿児島)

鹿児島県薩摩川内市平佐町
天正15年(1587)豊臣秀吉の九州征伐で他の城は次々と落ちていく中で300名程の城兵で頑強に抵抗したものの島津義久の降伏に合わせ開城
江戸期は平佐麓として明治まで存続しています。 
現況、
中心部は西平佐小学校(城址碑あり)。三の丸はJR薩摩川内駅周辺となっています。小学校より西へ600m程のところに江戸期の城主北郷氏の墓所があります。


徒歩JR鹿児島本線九州新幹線薩摩川内」駅下車、駅そば
 :駅周辺のコインパーキング
平佐城 MAP
 
小学校近くに 平佐城温泉あり
近くには、碇山城。豊臣秀吉と島津義久が面会した太平寺跡。薩摩国分寺跡がある。

2008年3月18日火曜日

幕末海防の城 助川城! (すけがわじょう:茨城)

茨城県日立市助川町5
幕末異国船が多数やってくると、水戸藩主 徳川斉昭公家老山野邊義観を海防惣司に任命し海防のため助川城と幾つかの台場を築かせました。この助川城 幕府に家老屋敷と届けを提出し荒業で築いてしまったようです。 築城28年後に天狗党の乱に巻き込まれ落城してしまった悲しい運命の城ですが、 このことは大仏次郎さんが小説に書いています。 
画像は国道6号線沿いの大手門前の碑です。昼休みの短時間で廻ったため助川小日立病院、周辺の土塁とそこから公園になっている本城を見上げただけで帰ってきました、残念!

 助川防海城跡保全会 郷土博物館
 助川城 MAP
 徒歩:JR常磐線「日立」駅下車、西方面の助川城址公園を目指すタクシーかバス利用
クルマ:日立病院に大きな駐車場があります。(ココより上は上ってないので不明)

2008年3月5日水曜日

龍ヶ崎古城・龍ヶ崎陣屋 (りゅうがさきこじょう・りゅうがさきじんや:茨城)

茨城県龍ケ崎市古城3087
室町期にココより北寄りの白旗台(現、龍ヶ崎一高)にの龍ヶ崎氏があり、戦国期、永禄11年にその出城の地(現、龍ヶ崎二高)に江戸崎から分かれ土岐胤倫が築いたのがこの 古城です。
その後 土岐氏が20年間治めたあと佐竹氏に属し廃城となったようです。
江戸期、龍ヶ崎仙台藩領1万石の飛び地となり、城の北西に陣屋を構え、享保年間にここを訪れた藩主伊達吉村に「北にありて古城あり、東はかしまの海みえて 眺望かぎりなし」といわしめたところです。よって名を龍ヶ崎古城とゆうらしいです。

○台上の龍ヶ崎二高は勿論進入不可ですが、門のところから見た限りでは完璧に更地になっているようです。
 ○北側は土採りで山が一つ無くなっているようです。
 ○道路は城を取り巻くように走っていますから堀跡など規模をイメージし易いです。

 徒歩:常磐線「佐貫」で関東鉄道 龍ヶ崎線に乗換え「龍ヶ崎」下車、15分(1.2Km)
クルマ:駐車場は特になし
地図:http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E140.11.42.0N35.54.19.6&ZM=9

2008年2月23日土曜日

春日部氏館 (かすかべしやかた:埼玉)

埼玉県春日部市粕壁
春日部氏館跡は伝承だけで詳細は判然としていないようです。

一番目立つ物見台(これは古墳らしい・・)とおぼしき高みの画像をアップしときます、画像手前の平坦地が館かと思われます。
ココに城など防御施設があったなら春日部稲荷の処が本郭でしょうか??

何か資料を見つけたらまたアップします。

電車:東武 野田線「八木崎」駅から400m位で春日部八幡に着きます。
駐車場:特に見あたらなかったです。

地図:http://map.livedoor.com/map/tb/E139.44.45.3N35.58.43.1

2008年2月20日水曜日

初ブログ! 姫路城 (ひめじじょう:兵庫)

1は「姫路城」を少々・・・

何も下調べをしないで行ってしまったので、中国道方面から高速を降り、街へ向かってはしると・・・
見えて来ました姫路城天守!
しばらく行くと橋のたもとに吉川英治の小説「宮本武蔵」でお馴染み「お通像」も建っております。
取り敢えず天守の見える方向へ!
竹の門」交差点通過で城内に入ったのは分かりましたが城下町街の常で大手への道がわからず?
取り敢えず「城内図書館」脇のPを見つけ其処へとめます。
そこで地元の人に道順を聞き、やっと搦め手から入場することができました♪
 (できたら大手から入城したかったー!)
搦め手の高石垣に圧倒されながら上っていくと道がクネクネとねちっこく
曲がりくねっているところが城好きとしてはたまりまらなかったです。

城は評判通り何処から見ても美しく、実戦本位に造られているのを忘れて
しまうくらい優雅でした。
姫路の街も活気があり 尾張名古屋は・・ ならぬ播磨姫路は城でもつ!
 が姫路攻略の感想です。

今回は予定外に寄れたので、ガイドが手元になかったが痛かったけど、これで
様子がわかったので次回は総構えなどゆっくり攻城してみましょうかね~~

電車:JR「姫路」駅北口から大手門跡まで1Kmくらい。
クルマ:公共施設や町のコインパーキングなど沢山あるから心配なし。