茨城県水戸市柳町2-5
水戸城のすぐ南の桜川畔に存在した武熊城に来ました。
場所は武隈市民センターを目指すと、そこに城址碑があります。この辺りが城の中心であろうと思ったがココは城の西端になるようです。
碑文
「かつてこの地には東西約550m 南北440mにわたり武熊城が存在した 吉田の豪族 石川望幹が築城したと伝えられ その後 江戸氏の支配を経て天正18年(1590)佐竹氏が水戸城を攻略し城主となるに及んで、一族の東義久の居城となった。佐竹氏移封後 武熊城 慶安4年(1652)柳堤築造の時採土されて城跡はなくなった」
採土されたとはいえ 下に載せた図では武熊城の中心部は媺高地の痕跡がみえます。
水戸城、武熊城、吉田城、大鋸町遺跡
当時の千波湖はもっと大きく武熊城の辺りには湖沼、湿地が広がっていたと想像します。
徳川の時代に開発され侍屋敷や堀になっていたようです。
JR常磐線「水戸」駅下車、東南東に徒歩19分。
駐車場:なし
トイレ:なし
近くには、北西に水戸城。南に吉田城、大鋸町遺跡。北東に武田氏館。西に河和田城。