福岡県摩耶郡猪苗代町字古城町132-7
猪苗代城は、会津黒川(若松)の蘆名氏の一族である猪苗代氏の城です。
会津若松や
猪苗代湖には幾度か来ていますが
猪苗代城は初めてになります。
亀ケ城の別名から分かるように亀のように郭が広がっており、現地に在るどの碑も猪苗代城ではなく亀ヶ城となっています。
磐梯山方面からの火山灰や溶岩流ナドを巧みに利用した縄張で、北側に鶴峰城(555m)があります、猪苗代城(551m)の一部に取込まれていたようです。
*各郭名がよく分からないので便宜的にⅠ郭、Ⅱ郭、
••• とつけました。
枡形に冠木門があり石垣には多聞櫓がのっていた。
上の写真の枡形から石垣の間を進むとすぐに井戸が見えてきます。
両側に石垣があるので当時の大手道と思っても良いかと思います。階段は改修かもしれないですが、、
古絵図で、Ⅱ郭虎口は屋根無しで簡単に描かれているので冠木門かもしれません。
Ⅱ郭は周囲に土塁と野口英世像が建っています。
現在崩れていますが古絵図にこの部分に石垣が描かれています。
大手道を登ってきて階段を写真右へ登るとⅡ郭虎口、左へ行くとⅠ郭の櫓門跡。
写真右寄りの猪苗代小学校は野口英世の出身校で案内板には英世がこの城で遊んだであろうコトが書かれていました。
痩尾根は手前の堀の掘り残しであろうかと思います。
鶴峯城は堀と土塁状痩尾根の向こうの丘にあり、猪苗代城の縄張に取込まれていたようです。
Ⅲ郭から猪苗代湖が見えました。
Ⅰ郭石垣の辺りににかつて門があり、石垣上にはその門を睨む櫓が建っていました。
郭間の堀の状態がよくわかる。
蘆名vs伊達の摺上原の戦いの頃には猪苗代氏は伊達政宗に従い合戦に負けた蘆名氏は滅びます。
会津を手にした政宗ですが一年余で豊臣秀吉傘下となりこの地を失う→会津黒川(若松)城に蒲生氏郷が入り猪苗代城には家臣を入れた→上杉景勝の城代が置かれる→蒲生秀行の城代が置かれる→加藤嘉明が堀主水を入れる→保科正之が城代を置く。
今回は時間の都合で寄れなかったですが摺上原古戦場は猪苗代城から西へ直線4kmほど。
図書歴史情報館脇から城
図書館裏の斜面はⅥ郭。
図書館はかつての堀であったか?
保科正之展のチラシ
この時ちょうど
猪苗代町図書歴史情報館で「
没後350年記念 保科正之展」をやっていました。(2022/10/25~11/27)
写真、パネル等60点ほどの規模でした。
城から北へ2.2km走ると土津神社があります、その奥の院は保科正之公の墓所。奥の院の近くの駐車場が便利。
城内にあった時の鐘。
戊辰戦争の折りに会津若松に向かう官軍が鐘に向けて発砲して空いたもののようです。
JR 磐越線「猪苗代」駅下車、北へ徒歩21分
駐車場:あり
トイレ:あり
近くには、北隣に鶴峯城。西に摺上原古戦場跡。東南東に八手山城。北北東に音高城。