福島県福島市杉妻町2-16
駐車場を入った辺りには御殿が建っていたが時代で差異があるようです。駐車場の先道路沿い警察署の堀跡発掘で三引両(杉目城時代の伊達家家紋か?)が付いた漆器が見つかっています。
北側から大手門と県庁、左は駐車場。
大手門石碑は道路のセンター分離帯に在るが、この案内板は歩道側。
福島城址碑
別称は大仏城、杉目城と云われる。
伊達氏→蒲生氏→上杉氏の支城→天領→本多氏→堀田氏→板倉氏が明治まで統治した。
堀としての阿武隈川は北に向かって流れる。南にあたる写真奥が上流,かつ 大手門も北向きでカーナビが180°回転した感覚です。
対岸は低湿地で攻め難かったかと思います。
良くぞ残った!
この土塁はこの奥に見える県庁西庁舎前で切れております。
写真左側(西側)の駐車場は堀であったようです。
対岸からの古写真から土塁が確認できます。
庭の遺構ですが周囲より低くなっております。
当然、改変されていると思ってよいでしょう。
案内図の築山は無いようです。
庭園の遺構らしき灯篭,庭石,石橋や琉路の石組みナドが見られます。
この宝塔は残存土塁の辺りからココへ移されたそうです。
福島城築城以前にあった杉妻寺(宝塔が存在を裏付けている)の仏像に因んで大佛城と云われたようです。
*丈六仏(一丈六尺=4.85m)であれば一般に大仏と呼ばれる。
御外庭に隣接する板倉神社は 板倉重昌・重矩 父子を祀っている。
島原の乱で、父子共に参陣、重昌は鎮圧軍の総大将を勤めたが原城総攻撃で闘死した。
この板倉神社で板倉さんの奉納銘を幾つか見かけたので、今でも子孫の方がいらっしゃるようです。
板倉神社案内板の板倉氏時代の図神社の図を基にして写真に文字を入れましたが,地図が大雑把なのと 時代毎に縄張りが変化していそうなので実施とけっこう違っている可能性あり。
※帰ってから調べたら福島警察署の辺りにもう少しリアルな案内図がるようです。
一ヵ月ほど前の福島行きでした!
できれば周辺を歩いておおよその規模を掴みたいところですが次の予定があるのでこれまで、良い早朝散歩でした!
福島城 MAP(城址碑のところ)
JR東北新幹線、東北本線、奥羽線、阿武隈急行、福島交通飯坂線「福島」駅下車、
南東へ徒歩11分
駐車場:県庁外来駐車場(コイン式)。(板倉神社参拝者用もとめられそうな感じです)
トイレ:あり
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