2020年8月31日月曜日

町田市の 小野路城(おのじじょう:東京)

 ■小野路城

北東から来た場合の分岐点

小野神社」から「萩生田牧場」→「おおるりファーム」前を通るコースを進入するとハイカー用ベンチがあるこの分岐に出ます。
 
直進=小野路城、右=奈良ばい谷戸、左=六地蔵(万松寺の裏手)
*この道は軽トラ以外のサイズは困難です。
図師小野路歴史環境保全地域 案内板

真中の案内板の所を左折すると小町井戸
曲がらず直進すると主郭へ向かえます。
図師小野路歴史環境保全地域 案内板
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この案内板小野路城主要部直下にあるのに小野路城には触れていません。
小町井戸案内板

この付近は小野一族の領地が存在し小野小町の病が治ったと伝わる井戸。
小町井戸

場所は主郭の北側下になります。
主郭と西側の平場

下の写真と場所的にカブっています。

主郭の北側から

左手の遊歩道と主郭の中間に平場もあります。
主郭

主郭の左手には土塁が廻り右手一段下に平場があります。
主郭の祠

このと共に城址も地元の方々によって守られているようです。



主郭と南東下の郭

城跡らしいところ。
小野路城址案内板

案内板の場所がわかり難くけっこう朽ちている・・・
斜面下の削平地

他にも周囲を見るとこの様な削平地が散見されます。

全体的に通行案内城の案内に乏しく、わかり難くなっているので下調べしてから向かったほうが良いかとおもいます。
小野路城は前Blogに載せた小山田氏の小山田城支城とされています(直線で1.3km程)。
そののちに後北条氏が小山田城小野路城を利用改変していたと思われます。八王子城滝山城方面と沢山城荏田城の各方面の中継の城としては良い立地でありますが想像の域をでません。


■万松寺谷戸

万松寺谷戸

万松寺谷戸小野路城周囲に広がるの一つ。
ココから徒歩で小野路城登城できるようです未確認です。
万松寺谷戸の案内板

自分はココからではなく萩生田牧場からおおるりファーム前を通るルートで入りました。






■奈良ばい谷戸

都立小山田緑地第一駐車場

自分は東側から二輪車で登城しましたが利用できる四輪車駐車場はココしか無いようです。
奈良ばい谷戸入口の登城口

奈良ばい谷戸の入口付近との登城口
奈良ばい谷戸から谷戸入口方面

奈良ばい谷戸からのもう一つの登城路奈良ばい谷戸を奥まで進むと次の写真のところに出ます。

*写真は奥から谷戸の入口方向をみている
奈良ばい谷戸最奥の道案内


西側の小山田緑地駐車場にとめ小山田城へ向かう場合はこちらの谷戸最奥からの方が経路が分かり易いです。



2020年8月19日水曜日

町田市の 小山田城(おやまだじょう:東京)

 東京都町田市下小山田332(大泉寺)

大泉寺参道

今回は、桓武平氏秩父氏の一族小山田氏が領した武蔵国 小山田の庄にある小山田城です。
補陀山 大泉寺の背後の山が小山田城大泉寺の一部と思われます。

惣門

大泉寺へのお参りはできますが山上の城址部分入山禁止となっており遺構はほとんど確認できません!

仁王門

こちらは楼門です。
左方を見ると起伏もあり、その様相は庭園跡とも城郭の名残りともとれます。
境内

ココから上がメインの遺構ですがむやみに立入れないので下から眺めて我慢!
小山田城址碑

碑文は「小山田興清著 松屋棟梁集より」となっています。
「武さしの国の多摩のこおりの小山田の里に小山田氏がすみて下小山田村に補陀山大山寺といふ曹洞宗の寺ありそこは小山田太郎といえるが城蹟也と里人がかたりつぎしはさりけるにや山塁の林●(禁か?)に壕などめぐらせてあと●●におもかげをのこせり」
小山田高家公顕彰碑

小山田高家新田義貞軍に加わり鎌倉へ攻め込み活躍しますが後に湊川の戦いで討死したそうです。
武田の二十四将小山田氏はこの一族です。
この上は郭か?

センターの窪みは道のようにものようにも見えます
郭段か?

本堂の裏手を見上れば跡とおもわれる段が見えます(ココも墓地)。
そして階段を上がると、
宝篋印塔

上に登ると顕彰碑碑文に刻まれていた小山田有重行重高家のモノらしき3基の宝筐院塔があます。
入山禁止看板!

このような立札が何ヶ所か立っているようです。
お寺が管理しているため城址としての残存度は良いようです。中へ入れば堀跡、虎口跡ナドの石柱が建っているようですが立入れないのが残念でした。
戦国時代まで機能していたのなら八王子城、滝山城、津久井城、小沢城、沢山城、他諸城と連携していたかと思います。

小田急電鉄 多摩線唐木田」駅下車、南へ徒歩35分
駐車場:あり(参拝者用)
トイレ:あり(参拝者用)

近くには、東に小野路城。南西に矢部城。西に小山城。南に淵辺伊賀館。北西に松木屋敷松木屋敷小田屋敷大石信濃館柚木城がある。