2018年2月19日月曜日

国立公文書館で企画展「太田道灌と江戸」(おおたどうかんとえど:東京)

東京都千代田区北の丸公園3-2
国立公文書館エントランス

太田道灌資料と、江戸城に関係する後北条氏の資料も展示されています。
会場のパネル

江戸城を築城し扇ヶ谷上杉家に忠義を貫いた太田道灌は魅力的な武将で一言でいえば「人物」と、いったとこでしょう。
アチラコチラに御殿山道灌の物見山のような遺構が残り現在でも慕われていることがわかります。
江戸名所図絵

道灌の途中での出来事 山吹の里の一節。
大田道灌兵書

江戸時代以降とおもわれるが、道灌が著したように書かれた兵学書(上・下)。
太田道灌書状写

この書状は道灌の横死の年と考えられる。
そう云えば命日開放される静勝寺道灌像を拝していなかったので行かねば!
蜷川家文書

将軍 足利義政古河公方 足利成氏との間での和睦に伴い宙に浮いた足利政知伊豆国を与えるとゆう内容です。
後北条家裁許状(虎の印判)

家臣の戦死による相続争いに関する朱印状
北条家朱印状写

人足招集人数点呼するナド当時の江戸城普請の様子が分かる書状。
北条家朱印状(虎の印判)

江戸宿小代官百姓に宛てた書状江戸宿=城下町を示す貴重な資料


北条氏ですが、他の滅んだ大名と比べると資料が沢山残っていると云われますが各地の名主豪族徳川家も江戸城内に大切に保存していてくれたのでしょうか!

何点か資料を撮ってきましたが撮影禁止もあり注意が必要!

最後に公文書館goods販売コーナー正保の絵図のうち苅谷城図¥500を求めました。現在販売中は3種ですが上山城棚倉城は売り切れて残り1種。折畳まれているが持ち帰るにはなかなかデカイです!

明後日、2/21(水)14:00-14:30 は同館1Fでギャラリートーク有
会期は3/10迄!( 月〜土 祝日は休み)

過去BlogLink:2017/7/18 東京フォーラム、太田道灌像と江戸城天守模型
国立公文書館 地図
東京メトロ 東西線「竹橋」駅下車、西へ徒歩3分

2018年2月3日土曜日

小田原城下・日向屋敷跡 発掘現場解放(ひゅうがやしき:神奈川)

神奈川県小田原市栄町1-1
小田原駅東口から現場

本日の所沢市滝の城発掘発表会でしたが雪の影響で中止! 運良く小田原・日向屋敷発掘現場解放が同日の開催されたので来てみました。(2018/2/3)
小田原城下・日向屋敷跡第Ⅰ地点資料

来る度にフェンスの中をチラ見していましたが、今回はじめて中に入りました。江戸時代発掘は終わり、さらに掘り下げ後北条戦国時代遺構を見ることができます。
発掘現場全体

全体に水気が多く、質問すると谷地形だったかもしれないと仰ってました。
見えている赤土城の方から土を崩し 或はを掘った残土でココを造成したようです。
これから電車に乗るので、取り敢えずこれだけupします。
駅寄りから

水色の塗りつぶしは堀跡? 或は?
の塗りつぶしは建物跡、に沿った石敷きのある方形空間。
大土坑の脇

景徳鎮が発見された32号井戸が見えます。手前の側溝のようなところが何かを聞いてくるのを忘れました。
図に大土杭とある部分

元の地形は、からに向かって下っていたそうです。この先は線路になるので地中には遺構がそのまま残っているかも!
大溝

整然と石列があり!
大溝

点々と庭石の様相です。聞いたところ庭では無いようです!?
建物遺構

区画に沿ってが植えられています。石敷き以外の所からはあまり遺物が出ないそうです。
同じく建物遺構の奥側

に沿って切株があります。垣根としての立木だったのでしょうか?

ココは建物跡らしいので今後の研究を待ちたい思います。
井戸?

石組の形をみると井戸のようです。

現地案内図に着色

この辺り一帯は大久保忠隣改易された時にその妻日向御前隠居所があったので日向屋敷といいます。
現地の案内図2

その後、区画され幕末まで武家屋敷でした。
戦国時代の32号井戸から出土

水注(水差し)と共に、景徳鎮糸尻を上にして(逆さ)9枚重ね無傷で発見。戸の地鎮祭のようなモノか?
戦国時代の陶器

陶器から胡桃ナド食料までイロイロ。
江戸時代の遺物1

鉄製は良く見ますがこの薬研はあまり見ないです。
江戸時代の遺物2

江戸時代瀬戸信楽堺・明石擂り鉢伊万里ナド多様。

初めての日向屋敷ですが、
からの方に下っていく様子を自分の目線で感じられたし、井戸を鎮める為と思われる景徳鎮、その他モロモロ
おもっていた以上に見応えがあり来て良かったです!!

日向屋敷 発掘現場 地図