以前に小田原城北の惣構え(外郭)の丘陵部をアップしましたが、その惣構え東側のを谷津鐘ノ台から南下します。
谷津御鐘ノ台尾根(久野口附近)
写真の右方も谷津の尾根です。小田原合戦で蒲生氏郷陣へ夜襲をかけたのは、この辺りを守備していた北条氏房です。
久野口門と思われるところ
台地の先端は小田急線用地で削られ、台地の上も下も宅地開発されましたが雰囲気はよく残しています。
井細田口跡
惣構えの谷津御鐘の台の台地が平地に降りてきた先が井細田口。新幹線ナドJR線路のすぐ南側で、国道255号線がクランクに折れているところなのですぐ見付けられます。
広小路と井細田口方面
門の内側に広小路と呼ばれる空地があったそうです、これは武者溜りなのか?防火の為かは勉強不足でわかりません、江戸時代のモノでしょうか?? 宅地化で旧状不明ですがこの辺りから外が堀(城外)か? と、おおざっぱな見方ですが感じは掴めます。
帰宅してから調べたら、JRガード下に土塁の痕跡があるとゆうことなので次の機会に門の位置ともども妄想して見てきたいとおもいます。
惣構え堀跡
ココは、NHKの「ぶらタモリ 小田原」編で惣堀(外堀)跡と紹介された辺りで、、わたくしも以前に地図上で見比べて良く分らなかった所なんですが、水路(川)が両側に残っているので暗渠では無く露出していれば判別できそうです。
渋取口(写真無し)
渋取口門は上の写真の近所であるらしいが場所がよく分かりません! 渋取川を外堀とし土塁を構え、そこから200〜300m先にある久野川との間は湿地が広がり要害の地であったようです。
眼前には蓮池が広がっていたらしい!?
土塁もナカナカの規模で残っています。
蓮上院土塁 B29の爆撃痕
第二次大戦中、米軍 B29の爆撃で被弾した土塁凹み箇所。
山王口(戦国期)と 江戸口見附(江戸期)
江戸時代の東海道(現・国道1号)が通るのが江戸口見附で土塁に柵、木戸、番所があったようです。
江戸口見附 一里塚跡
歩道橋脇なので車だと発見しにくそうです。
わたくし、山王口と江戸口を混同していましたが、どうやら別であるらしく山王口の写真を撮っていません。
江戸口見付案内板 地図
北条氏当時の山王口は、江戸口見付から直線で60mほど南に存在。 現在は、その辺りに北條稲荷社が鎮座しているそうです。
過去Blog
2015/10/25 小田原城、百姓曲輪下から惣構え廻り 荻窪口、山の神 あり
2014/3/12 三の丸外郭 新堀土塁 鉄砲矢場、三の丸新堀土塁 あり
2011/1/22 小田原城外郭 城下張出し、荻窪口、稲荷森、小峰の大堀切
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