2015年10月25日日曜日

小田原城、百姓曲輪下から惣構え廻り(ひゃくしょうくるわ、そうがまえ:神奈川県)

神奈川県小田原市城山2
陸上競技場へ向かう道から振り返る!

百姓曲輪障子堀が出たとゆうので小田原にやって参りました!!
宅地にする前の発掘調査で、見られるかどうかは不明のまま取り敢えず家を出ました。(10/25)
発掘現場① 慈眼寺前から

この道こそが障子堀出現とニュースになったで、であるため堀底まで掘れないようです。
発掘現場① 慈眼寺脇の堀

現状では畝堀にみえます、ココが堀障子になっているのでしょうか? 

実は、登リ口不動産業者と思われる方がいらして、現場写真を撮っていたら私有地ですからと丁重な注意を受けました。
業者の方の営業妨害となりそうなので早々に引き上げ、次へ!
発掘現場② 養林寺側の堀

百姓曲輪から連ならる一方の発掘現場には学芸員の方がいらしたので少々お話しをして応対してくれたので見学OKと自己判断!? 斜面で細長い現場設定なので掘った土は全て上に持ち上げており大変であるとのことで、墓地通路の辺りが堀底であると想定しているそうです。コチラは大きな発見はないです。
現場から御前曲輪に登ってきました

小田原市陸上競技場となっているところ。
御前曲輪 石敷き遺構

競技場の管理棟前、中へ入ることはできません!
毒榎平

どくえだいら」と読みます、 名称由来は不明?
農園販売所でミカン購入!

周辺はミカンの栽培農家が多く、
惣構え、畑の下に障子堀がまだ眠っているところも有そうですね。

そういえば、石垣山一夜城二の丸も以前は全面ミカン畑でした。
荻窪口

百姓曲輪の様子を確認するため惣構えをぐるりと歩きました。
以前よりは小田原城を立体的にみられるようになってきましたが、樹木で覆われているので場所がいま一つピンときませんでした。
 山の神 土塁/堀切

 昭和13年に山の神一帯が国指定史跡となったそうです。
惣構え附近から城内

いつもスルーしていて百姓曲輪自体よく知らないのですが、障子堀発見の誘惑にかられて歩いてみましたが良くわからず!?
機会があればじっくり観察してきます。
現場は私有地であり発掘も小規模なので見学はし辛いかとおもいます。
小田原城天守工事中(2015/10/18現在)

現在天守足場に覆われています!
木造建て替え運動をしていたとおもいますが耐震工事で持たせるようです。

入閣不可!! 工期は2016年4月下旬まで。


*過去Blog
2011/11/22 小田原城外郭 (惣構え)
2013/12/26 小田原城八幡山古郭の散策路が開放されてます
2014/3/12 三の丸外郭新堀土塁

発掘現場 MAP (私道のようなので進入注意!)
JR東海道線小田急線、箱根登山鉄道 「小田原」駅下車、西へ8分

駐車場:なし
トイレ :なし

2015年10月22日木曜日

行田兵衛尉館跡(ぎょうだひょうえのじょうやかた:埼玉県)

埼玉県行田市忍2-17-18
行田氏館跡石碑

鎌倉時代の館で、成田氏6代子孫である行田兵衛尉源平合戦でこの地を賜ったのがのはじまりだそうです。
行田氏は室町時代に滅ぼされたようですが、その後の足取りはよくわかりません。
兵衛(じょう)とは左兵衛府or右兵衛府のどちらかの官職名を持つとゆうことですね!
因みに、四等官1.長官:かみ、 2.次官:すけ、 3.判官:じょう、 4.主典:さかん です。

NTTビルの角です!

このの場所ですが後から築城された忍城に取り込まれてしまって、その当時から遺構は無いものかとおもわれます。


ぷらっと♪行田(行田市商工センター)

行田氏館石碑から道路を挟んで対角線にあるビルで、観光パンフレットお土産レンタル自転車も借りられます。

この先で行田名物ゼリーフライを求めました(パンフレットに多数の店舗が載っている)、揚げたてを食してみると鹿児島薩摩揚げ(豆腐入りのヤツ)を食べているような感覚に陥り、けっこう好きな味でした。

行田氏館跡 MAP 石碑のところ

秩父鉄道行田市」駅下車、南南西に300m
JR高崎線「行田」駅の場合は4.5kmほどあるのでバスかTAXI利用になるかとおもいます。
駐車場:なし
トイレ :なし(表通りなので困らないとおもいます)



2015年10月9日金曜日

梶原氏館(かじわらしやかた:東京)

東京都品川区東大井3-9
梶原稲荷神社

細い路地を上がって行くと鳥居が見えてきます。

の表示はありませんが、鳥居梶原稲荷と彫られているのですぐにそれとわかります。
本殿は奥まったところにおわします

住宅の屋根と比すると微高地となっています。

稲荷神社の由緒書

由緒書きによるとココがの敷地内!

おなじ品川区内馬込城主梶原氏で、戦国時代後北条家傘下となっていましたから小田原合戦までこの地を治めていたようです。
 同一人物あるいは同族なのかは分りません。
近所にあった品川区設置地図

からココへ来るときに通って来た道ですが、
鳥居を正面に見て右方に下った突き当りに南北に通る道は旧街道(東海道以前の街道か?)のようです、その旧道の辺りに関ヶ原地区会館ナド関ヶ原の名が散見するので関所が置かれていたのかもしれません。

逆に、左方へ下って行くと、埋立て前の江戸湾海岸になるので五街道整備以前の街道と判断しても良さそうです。
因みに、この旧街道とおもわれる道と東海道に挟まれた間が土佐藩下屋敷です。

過去Blog
2011/3/2 馬込城
2014/12/6 土佐藩 浜川台場、鮫洲抱え屋敷、龍馬像
2014/12/23 山内家 土佐藩 下屋敷

梶原氏館 MAP
JR京浜東北線、東急大井町線「大井町」駅下車、徒歩で南東へ700mほど

近くには、南に土佐藩下屋敷跡。 南東に坂本龍馬銅像、その先に土佐藩抱屋敷浜川台場。 北北東に 山内容堂公お墓。 南に鈴ヶ森刑場跡。 北に御殿山城

品川の今川氏真の館 今川氏館(いまがわしやかた:東京)

東京都品川区東大井広町2
JR大崎駅から線路沿いに歩いたところから1枚

徳川家康が元主家である今川氏真品川の地を与えたようです。

今川氏真次男品川性を名乗る品川高久が1592年に徳川秀忠に出仕しています。
1枚目から大井町寄りに来ました

現況は広大なJR大井町駅北側のJR東日本車両センターとなり中には入れず!
もっとも、入ったところで引込み線とセンター建物で平地となり河川の位置や盛り上がった土地ナドも確認できない状況です。

区役所前の歩道橋からの眺


石碑もなく、JR京浜東北線「大井町」駅から「品川」駅へ向かう線路左手に件の車両工場が見えるのでわざわざ訪れるまでもないかとおもいます。
品川区役所前の地図

この他、杉並区今川にも今川氏真子孫陣屋跡があります。






*過去Blog
2010/11/8 今川陣屋 (杉並区)

今川氏館 MAP
JR京浜東北、臨海線東急 大井町線「大井町」駅下車、 北西へ500m(写真の辺り)
JR山の手、臨海線、湘南新宿ライン線、「大崎」駅下車、 南東へ600m(同場所)
駐車場:コインパーキングナド多数あり
トイレ :周囲には公園や区役所ナドあり