前回の七沢城同様に扇ヶ谷上杉氏と関連のある城なので2009年過去画ではありますが紹介します。
場所は丸山城趾公園(現在は完成)と高部屋神社を含む周辺部一帯です。
城の台地の南北にそれぞれ川か流れています(現在は直線的に河川改修されている)。
一説では西側の東海大学病院まで城域に含まれる広い範囲とされています。
扇ヶ谷上杉家は相模愛甲郡から武蔵南部にかけて広大な領地を抱えているので、それに見合った規模の城館を持っていたと私もおもいます。
丸山城趾公園と高部屋部神社間にも堀がありましたが、国道246号線が直線に貫いているので旧状はよく掴めません。
個人的に!
大庭城や深大寺城のように2郭、3郭と外に大きく広がってゆく縄張りかと想像しています。
←戦国時代だけでなく、他の時代の遺跡が出ているので何とも?
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館を鎌倉の扇ヶ谷から糟谷館に移した扇ヶ谷上杉氏ですが、山内上杉顕定の謀略により扇ヶ谷上杉定正は家宰(執事)の太田道灌を呼出し湯屋で謀殺してしまいます。
その後、大黒柱を失った扇ヶ谷上杉氏の末路はご存知のとおりです。
発掘調査ては、一定の規模を持った障子堀が発見され、扇ヶ谷上杉氏の遺跡でよく発見される「渦巻きかわらけ」も出土しているので、糟谷館の可能性は高いと感じています。
一方の糟屋館の比定地である産業能率大学辺りの発掘では小規模の出土物しかないようなので、こちらの進捗も楽しみですね。
*注: 丸山城址公園はすでに完成しています。近いうちに寄ろうと思っているのでまた写真をアップします。
過去Blog
扇ヶ谷上杉家所縁の 七沢城 2014/5/30
深大寺城 2010/2/9
丸山城 地図
小田急線「伊勢原」駅下車、
駐車場:あり
トイレ :あり
近くには、糟屋館比定地。七沢城。愛甲城。荻野中山陣屋。
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