2014年1月1日水曜日

鬼が棲む? 鬼ノ城(きのじょう:岡山)

岡山県総社市黒尾1101-2(鬼城山ビジターセンター)
広島の「大和ミュージアム」をあとにし、鬼ノ城へやってきました~

追記
鬼ノ城古代山城の中でも神籠石いわれます、正史に出てこず、後世の鬼ノ城縁起ナドの文献には載っている?な城です。

駐車場があるビジターセンターは城外で、5分ほど歩くと角楼に辿りつきます。
城外から遠望

実際には石垣も積まれていたようです。

吉備の人々もにある様な(刺青)を顔に彫っていたのでしょうかねー?
の上にそんな射手が狙っていたらビビりますねー  !
西門から中心に近い礎石建物群まできました。
、平地も少なく、建物跡はココに集中しているようです。
斜面ばかりでふつうのトレッキング道と変わらないので、どれだけの人数が常駐できたのかは不明?



掘立住居跡ナドの状況からないのでもう少し資料があればとおもっています。


次は第5水門を経て屏風折石垣へ!



屏風折れからの眺めですが、どこまてか分かりませんが内海が入り込んでいたようで、瀬戸内に漕ぎでるためのもあったと思われます。



再び第5水門へ戻り東門へ!

東門の礎石には柱穴の加工跡も見られ、背後上方は鍛冶工房跡もあります。
ココは第2水門です。 城内には池がいくつかありますが、かなり埋まっていると思われ今より広大な湿地が広がっていたのではないでしょうか? 灌漑用水のように一部堰き止めて出来た池とも考えられます。いずれにしても水は潤沢に使えたようです。
水門は城内の沢から流れる水を排水する設備のようです、現地に行くまで水門は もっと大規模ものかと思っていました。

第3水門のすぐの石列で、この先は排水溝を伴った石畳があります。

南門まできました。





先にも書いたように、城内には平地が少なく、どのように守る(籠もる)のか興味がありますが、いつ誰が築いたのかも分らず、オマケに
戦国時代の城郭とは思想思考を異にするものですから超難解ですよね!?
このあと、国分寺作山古墳足守陣屋高松城にも寄りたかったのですが夕暮れで打ち止めです!!
温羅伝説: 温羅(うら)は百済から渡来した王子と謂われ、大和へ送る物資や婦女子を強奪したので人々からココを鬼ノ城といって怖れられ、大和朝廷によって討伐た と伝承されています。

この話とダブルように桃太郎の昔話も伝わっているようです。

鬼ノ城 MAP (ビジターセンター前の駐車場)
電車:JR吉備線「服部」駅下車 北北西へ5km 。或いは総社」駅からタクシー
クルマ岡山総社IC 北へ8.6km 20分
駐車場:あり (ビジターセンター前、)
トイレ :あり (ビジターセンター)

近くには、南南東に 長良山城。 南西に 経山城。 東に 足守陣屋。南東に備中高松城 がある。

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