2014年1月4日土曜日

多賀SAに残る 敏満寺城(びんまんじじょう:滋賀)

滋賀県彦根市多賀町敏満寺
敏満寺城は、
多賀大社と並ぶほどの広大な寺領(含 多賀SA)を誇った敏満寺では僧兵も抱え、争乱の時代に大寺が要塞化したものてあるようです。


 場所は名神高速道路多賀SA上りの北(東京寄り)、G.S脇のドッグラン等がその場所で、下り線から通路利用できます。 また、ぷらっとパーク(高速外から利用できる公園)になっています。
休憩に寄ったときには暗がりですがなんとか写真を撮ってきました。
実際に歩いてみると土塁が残っており、入口を左に下りていく道は堀跡のようにみえます。
他にも井戸跡石垣ナドがあるようなので昼間に再訪の余地ありです。



敏満寺城 地図
駐車場:あり
トイレ :あり

近くには、北北西に彦根城佐和山城。北北東に鎌刃城。西南西に観音寺城安土城。南西に近江八幡城

2014年1月3日金曜日

三大庭園の一つ 後楽園(こうらくえん:岡山)

岡山県岡山市北区後楽園1-5
日本三大庭園の兼六園はいきましたが、偕楽園は園前までは行きましたが千波湖周辺だけで入場はしていないので、ココで2園目となります。

2代池田綱政公が造らせた庭園です。



当時は園に橋が無く、藩主は船で後楽園へ渡ったそうです。

舟入の場所は、
城から後楽園側へ月見橋を渡ってすぐのところ。

唯心山(築山)からの眺め!
唯心山はこんな山。

八ッ橋。
伊勢物語のくだりを思いつつ、1枚パチリ!



 入場時のチラシで、能楽堂で新春狂言、\500也(1/2 入場時に紅白餅をGet)が行われるようです、演目「福の神」は正月ナドめでたい時にしかみられないのでおもわず鑑賞して参りました。
後楽園は城内の御殿とは違い、許可があれば領民も能鑑賞ができたそうです。

築山がデカイので、そこに登ると園内を俯瞰に近い状態でみることができ、
池やせせらぎが多く配され、それらを眺めながら 大名気分でゆったりと過ごすことができました。





後楽園H・P
*2014/5/2。岡山城の写真点数が増えたので後楽園は別に立ち上げました。

2014年1月2日木曜日

岡山城(おかやまじょう:岡山)

 岡山県岡山市丸の内2-3付近
夕刻の鬼ノ城から高速利用でホテルへ直行! 現地から携帯アップです。
写真は西の丸の堀跡に建つホテルから西の丸にある西手櫓。

このホテルは西の丸の堀の中(堀跡)に建てられておりまして、西の丸(小学校跡地)にある石垣と現存 西手櫓も窓の視界に入るとゆう立地なので城好きのわたくしには☆☆☆ホテルです!

因みに禁酒会館から裏手に西手櫓が見えるようです。
ホテルに荷物を置いてから夜の徘徊です。
但し正月の夜のなのでかなり寂しいですよ~
この自転車は本丸下を川沿いに進んでいきましたがこの先は何もないような・・・
一夜明けて、
西の丸石垣と城下駅下の地下道の石垣から廻ります。
かつてココは堀の中だったはずなので、これは移設石垣と思われます。
西の丸の石垣です、この後に旧小学校正門から入り西手櫓へ向かいます。
他所のH・Pをみると池に水が張ってあり、櫓の壁も土色をしていたのですが、今は様子が変わっているようです。
小学校の校庭・校舎そのままの状態で残っていますが、ココを公園利用などされるのかはわかりません。
石垣は旧本丸といわれているところで、独立の曲輪となっています。
対面所(林原美術館)も独立した空間で、堀の水面まで石垣はもう少し高さがあったとおもわれます。
本丸中の段では小早川氏から池田氏、その後の改修ナドの石垣が楽しめます。
本丸下の段には建物基壇を復興中、門や蔵ナド往時の様子がうかがえます。
中の段には御殿が所狭しと建ち並んでいたようで、その分 絵図でも池はこのサイズに描かれています。
中の段、宇喜多秀家時代の角石、地中に続きが眠っています。
廊下門渡櫓の門の上は御殿に渡る城主専用の廊下です。
1
先に紹介したNHK岡山横の宇喜多直家時代の旧本丸を北側の旭川土手から見てみました。
土手上から振り返ると天守と月見櫓が、
二の丸内屋敷内。
二の丸は広大で、ややこしいのはこの門から堀を隔てた外側も二の丸外郭となるようです。
対岸から城址を撮影して帰途を急ぎます。






過去Blog
伊木家 武家屋敷門 2012/3/15

岡山城H.P
後楽園H.P
岡山シティミュージアム
岡山県立博物館HP
林原美術館H.P

岡山城 MAP(烏城公園駐車場のところ)
JR山陽新幹線、山陽本線、吉備線、宇野線、津山線「岡山」駅下車、市電利用あるいは、東へ徒歩20分
駐車場:あり (烏城公園駐車場1時間300円(30分毎100円)※天守入場者は半券で150円割引。他に後楽園の北側にもあり。)
トイレ :あり

*2014/04/22写真点数が増えすぎたので後楽園は別ページで立上げます。

2014年1月1日水曜日

明けましておめでとう御座います。広島大和ミュージアムにて

広島県呉市宝町5-20

本年も宜しくお願いします。

本日は呉の大和ミュージアムにきています。
元日なのにナカナカの賑わいで、朝一の入場なのでタオルをいただきました。

目玉は戦艦 大和の1/10模型!
他には回天、ゼロ式戦闘機62型 ナドを展示しています。

駐車場:あり (3時間近くで¥300)
トイレ:あり

鬼が棲む? 鬼ノ城(きのじょう:岡山)

岡山県総社市黒尾1101-2(鬼城山ビジターセンター)
広島の「大和ミュージアム」をあとにし、鬼ノ城へやってきました~

追記
鬼ノ城古代山城の中でも神籠石いわれます、正史に出てこず、後世の鬼ノ城縁起ナドの文献には載っている?な城です。

駐車場があるビジターセンターは城外で、5分ほど歩くと角楼に辿りつきます。
城外から遠望

実際には石垣も積まれていたようです。

吉備の人々もにある様な(刺青)を顔に彫っていたのでしょうかねー?
の上にそんな射手が狙っていたらビビりますねー  !
西門から中心に近い礎石建物群まできました。
、平地も少なく、建物跡はココに集中しているようです。
斜面ばかりでふつうのトレッキング道と変わらないので、どれだけの人数が常駐できたのかは不明?



掘立住居跡ナドの状況からないのでもう少し資料があればとおもっています。


次は第5水門を経て屏風折石垣へ!



屏風折れからの眺めですが、どこまてか分かりませんが内海が入り込んでいたようで、瀬戸内に漕ぎでるためのもあったと思われます。



再び第5水門へ戻り東門へ!

東門の礎石には柱穴の加工跡も見られ、背後上方は鍛冶工房跡もあります。
ココは第2水門です。 城内には池がいくつかありますが、かなり埋まっていると思われ今より広大な湿地が広がっていたのではないでしょうか? 灌漑用水のように一部堰き止めて出来た池とも考えられます。いずれにしても水は潤沢に使えたようです。
水門は城内の沢から流れる水を排水する設備のようです、現地に行くまで水門は もっと大規模ものかと思っていました。

第3水門のすぐの石列で、この先は排水溝を伴った石畳があります。

南門まできました。





先にも書いたように、城内には平地が少なく、どのように守る(籠もる)のか興味がありますが、いつ誰が築いたのかも分らず、オマケに
戦国時代の城郭とは思想思考を異にするものですから超難解ですよね!?
このあと、国分寺作山古墳足守陣屋高松城にも寄りたかったのですが夕暮れで打ち止めです!!
温羅伝説: 温羅(うら)は百済から渡来した王子と謂われ、大和へ送る物資や婦女子を強奪したので人々からココを鬼ノ城といって怖れられ、大和朝廷によって討伐た と伝承されています。

この話とダブルように桃太郎の昔話も伝わっているようです。

鬼ノ城 MAP (ビジターセンター前の駐車場)
電車:JR吉備線「服部」駅下車 北北西へ5km 。或いは総社」駅からタクシー
クルマ岡山総社IC 北へ8.6km 20分
駐車場:あり (ビジターセンター前、)
トイレ :あり (ビジターセンター)

近くには、南南東に 長良山城。 南西に 経山城。 東に 足守陣屋。南東に備中高松城 がある。