駅前立体通路より |
前回の記事が完成していないのに次に行くなと怒られそうですが
相変わらずRAW現像できないので、取り敢えず携帯JPEG画像で!
成型された石の護岸壁が周囲を廻る構造の庭園の池はひじょーに珍しいものです(後北条時代)
わたくしめも想像すらしていなかったので、これは見ねばならん!!
わたくしめも想像すらしていなかったので、これは見ねばならん!!
とゆうことで、
小田原にやって参りました。
過去Blog(2013/2/13)の中で五輪塔を石材として使用した石敷きの滝として紹介しました
が!
今回発掘範囲が広がり、ナント!
池の周囲を廻る15段の五輪塔石材の護岸壁が明らかになりました。
池のほとんどが石敷きと州浜(砂利敷き)で覆われております、よくある禅寺の庭園にも似ず、以前にも書いた飛鳥あたりの石敷きの苑池や平安期の浄土庭園の雰囲気があります。 <-あくまで個人的妄想・感想!
復元されたら面白い庭園になるとおもうよころですが、
残念ながら復元案は江戸期の小田原城と決まっていますので調査が終わったら埋め戻されてしまいます。
まぁ地中でそのまま保存されるわけですからそれはそれでいいことです。
横浜「三渓園」の小舟
ところで、
ココで使用された五輪塔石材は加工された新しいものを使っています。
何故なら、
多くの出土したものには風化の跡が無い(エッジ)が立っている)、凡字、銘文ナドが刻まれていないことから新しく加工されて出荷待ちの石材ではないか?
と聞きおよびました。
しかし、わたしの中では、何故なら、
多くの出土したものには風化の跡が無い(エッジ)が立っている)、凡字、銘文ナドが刻まれていないことから新しく加工されて出荷待ちの石材ではないか?
と聞きおよびました。
ストゥーパ = 卒塔婆 = 五重塔 = 五輪塔
とどれも同列なので・・・
この石は、ちょうど形がいいから五輪塔の一部を使用したわけでもなく、
この石に発展、祈念、鎮護の思いを込めた生きた石材なのではないか??
と感想を持っています。 ←信憑性ゼロ!!
とここまで色々妄想しましたが、御用米曲輪の御主殿?迎賓館?ナド戦国期の用途、庭園の原型が気になるところであります。
と感想を持っています。 ←信憑性ゼロ!!
とここまで色々妄想しましたが、御用米曲輪の御主殿?迎賓館?ナド戦国期の用途、庭園の原型が気になるところであります。
次回の現地説明会は、2013/12/21(土)です、次回はココの北側を掘り広げるそうです。
是非この機会に!
以前のBlog
小田原城 御用米曲輪 第4次発掘調査発表会 2012/8/18
小田原城 御用米曲輪 本日は開放 見学自由でした 2013/2/13
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