2013年9月14日土曜日

天王洲の 第4台場 (だいよんだいば:東京)

東京都品川区東品川2丁目3−12
第4台場は天王洲にあり、 陸続きの御殿山下台場(2012/7/12Blog)にもっとも近いのがこの第4台場です。

異国船来襲に備えて計画された7台場の一つで、陸続きの御殿山下台場にもっとも近いのがこの第4台場。
資金難ナドの理由で7分の建設で取り止めになったそうです。

現在は、シーフォート(海の城砦)スクエアとなり、ビルが立ち並び天王洲アイル駅も設けられています、
その周囲の一部にはボートウォークが設置されその下には石材再利用と思われる?石垣が組まれております。
橋のたもとには古そうな石垣がありますが当時の石垣かは不明!

とはいえ、
天王洲アイル/シーフォートスクエアは第4台場と共存するカタチで再開発されているので完全破壊されなかったのでヨカッタです!











りんかい線or東京モノレール 「天王洲アイル」駅下車、徒歩0分
駐車場:あり 第一ホテル等
トイレ :あり

近くには、北に御殿山下台場跡。御殿山城

2013年9月11日水曜日

下総国府、国分尼寺、国分寺と国分館、 (しもうさこくふ、こくぶにじ、こくぶんじ:千葉)

千葉県市川市国府台1-6

国府台城へ行く途上に下総国府跡(いまは運動場になっている)に寄り、それから国府台城を一周し、国分尼寺跡と国分寺を廻りました。

まずは、京成 国府台駅から松戸街道を北上、国府台公園を目指します。



千葉県市川市国分4-17
国分尼寺は金堂、講堂の辺りは国分尼寺跡公園となっております。
地域の方が清掃作業をしておられて写真が思うように撮れず

地元の方が整備してくれるお陰で城址やら史跡を廻れるので感謝して次の国分寺へ向かいます。


千葉市市川市国分3-20

国分寺から北へ向かうと資料館があるようですが、炎天下を歩いたので結構キツかったのでリタイヤです。

普段は、地図を調べて出掛けてますが今回は場所を決めず行き当たりばったりで、携帯マップをあてに迷わずまわれました。
km歩いて元の国府台駅に着いたときはヘロヘロで

*Errorの為Blog再編中!

2013年9月10日火曜日

関戸の 霞の関 (かすみのせき:東京)

東京都多摩市関戸5-35付近
鎌倉街道を北関東から南下、
武蔵国府を過ぎ多摩川を渡り少し先にあるのが霞の関で、両翼には木戸とそれに連なる木柵でおさえられていました。

鎌倉時代は不明ですが、少なくとも戦国時代の多摩川は武蔵国府(東京府中市)の台地寄り、ちょうど分梅河原辺りを流れていたので、多摩川から霞の関まで2km程の距離があります。


多摩川は蛇行で川幅も広かったことも想像されます。

わたしの独断と偏見では、
関から高台に登れば武蔵野を移動する兵団を監視でき、多摩丘陵を分断する乞田川が蛇行し平地幅160m前後の狭隘な地(今日のように道路も無く自由に往来できない)で、
川の東側は人馬が通れない丘陵、
川の西側 旧・鎌倉街道は川をまいて高台に上っていくところに霞の関があります。

ですから往時は関所を設けるには適地であったとおもっています。



上野(群馬県)からの新田義貞の鎌倉進軍もココを通ったそうで、
小手指原の戦い、分倍河原の戦いナドを経て多摩川を越え、遂には霞の関も突破し町田市方面へ抜けて行ったとおもわれます。
南木戸があった熊野神社には発掘調査に基づき柱が表現されていますが、
北木戸があった観音寺には何も無いようです。


関戸の地名由来は、鎌倉街道の関や木戸からついたのでしょうかね??







霞の関、南木戸 地図

京王線、「聖蹟桜ヶ丘」駅下車
駐車場:なし
トイレ :なし

近くには、北北西に関戸の天守台。北西に百草城高幡城。東南東に諏訪坂館。東に大丸城