神奈川県小田原市城内900番3外
もうすぐで一月経ってしまいますが、去る8/18に本丸の東側にある御用米曲輪で行われた現地説明会にいってきました。
早めに到着したので、まずは小田原駅近くにある北条氏政公、氏照公のお墓参りナドをして、ブラブラと大手方面へ廻ってから
現場へ到着!
説明会開始まですこし時間があったので現場の写真を撮りつつ事前調査(笑)をし、集合場所へ・・・
●江戸時代の遺構
土塁上に蔵の跡がみつかり 一間が6尺5寸(1.9695m)ある礎石が出たので、絵図とほぼおなじ位置に建物が建っていたことが確認されました。資料では蔵となっていますがこれは多聞櫓と考えて差し支えないと思います。 また、葵の紋入りの瓦がでています。
そして今回の注目の瓦を重ねて積み上げた瓦塀は、発掘現場の土中からでるのは珍しいそうです。
それとは別の場所に、帯状の溝に瓦がビッシリ埋まっているところがあり、学芸員の方に溝いっぱいに割れた(故意に割った?)瓦を詰め込んだものは何でしょうか?
と問えば排水施設ではないかと申されていました。時代聞き忘れ
●戦国時代の遺構
江戸時代遺構の下には戦国時代(後北条)の礎石建物跡がでています。これは大きな屋敷や会所などではないか? とのことです。
掘礎石の1間(礎石間)は6尺2寸5分(1.89cm)とゆうことで、京間より狭く、江戸間より広い建物になり、
八王子城でも同サイズの建物跡がでている
ので、この時代の東国の建築像がみえてくるそうです。 ごっそり掘り返して御主殿の威容を妄想してみたいとおもうのは自分だけでしょうか??
それと、前回の説明会時には障子堀もでています。
野球場の造成や駐車場への転用ナドで遺構は壊滅的なのではとおもっていたのでナカナカいいものが残っていて満足です!
ココからは北条関係の遺構もまだまだでてきそうですね♩
御用米曲輪(江戸時代):江戸へ送る御用米の倉が建っていたので御用米曲輪と呼ばれています。
明治時代には宮家の御用邸ー>野球場ー>発掘調査(S54年)ー>駐車場ー>そして発掘とゆう経緯です。
他にも、本丸御殿は将軍の宿泊所のため小田原藩主は二の丸以下を利用していました。
お茶を将軍様献上するための御茶壺道中の御旅所とでもいいますか、お茶を納める御茶壺曲輪もあります。
北条氏政公、氏照公墓所 地図
御用米曲輪 地図JR東海道新幹線、東海道線。小田急線、箱根登山鉄道「小田原」駅下車 700m 6分
駐車場:線路脇に市営P、周囲にコインPあり
トイレ:あり
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