2012年9月21日金曜日

第38回管絃祭 乃木神社 (かんげんさい:東京)

東京都港区赤坂8-11-27
 今回はネタではなく、、
9月20日に行われました管絃祭です

今年は乃木神社 御祭神100年祭記念でもあります。

 この9月で、乃木夫妻明治天皇崩御に殉じて100年 
2012年は、いってみれば大正100年になります。



チョット疲れがでて、心地よい音曲で寝そうになったのは内緒です~~~
舞楽の写真をアップしたかったのですが撮影禁止でしたので、観覧者退場の曲だけ撮らせてもらいました。来年2013の管絃祭は10月に!


さて、演目は・・・

 乃木の舞、 乃木将軍の天皇に対する忠誠(まこと)が謳われています。
管絃
 林歌、 高麗から伝わりました。
 陪獹、 聖武天皇の御世に伝えられました。
 舞楽
 振鉾 鉾を振って勇ましい(適当ではないかな?)舞。
 左方賀殿、 仁明天皇の御世に藤原貞敏が唐より持ち帰った。
 右方古鳥蘇、嵯峨天皇の御世に伝わった。
最後に
 長慶子 源博雅 作と伝わる曲で送られ観客退出。

乃木神社 Link 乃木神社に隣接する乃木公園には、ご夫妻が自決した屋敷があり、命日にあわせて公開もあるそうです。 
乃木神社 地図
東京メトロ 千代田線「乃木坂」駅下車 1番出口の前
駐車場:近隣のPへ
トイレ :あり

近くには、北北東に高橋j是清邸跡(高橋是清翁記念公園)。 南方の六本木ヒルズと毛利庭園の周辺は長府藩邸の屋敷跡で乃木希典の家は長府藩士でした。因みに赤穂浪士の一部がこの長府藩邸にお預けとなりココで終焉をむかえています、

2012年9月19日水曜日

小田原城 御用米曲輪 第4次発掘調査発表会 (おだわらじょう ごようまいくるわ:神奈川)

神奈川県小田原市城内900番3外
 もうすぐで一月経ってしまいますが、去る8/18に本丸の東側にある御用米曲輪で行われた現地説明会にいってきました。
 早めに到着したので、まずは小田原駅近くにある北条氏政公、氏照公のお墓参りナドをして、ブラブラと大手方面へ廻ってから

現場へ到着!

説明会開始まですこし時間があったので現場の写真を撮りつつ事前調査(笑)をし、集合場所へ・・・


 ●江戸時代の遺構
土塁上にの跡がみつかり 一間6尺5寸(1.9695m)ある礎石が出たので、絵図とほぼおなじ位置に建物が建っていたことが確認されました。資料では蔵となっていますがこれは多聞櫓と考えて差し支えないと思います。 また、葵の紋入りの瓦がでています。
 そして今回の注目の瓦を重ねて積み上げた瓦塀は、発掘現場の土中からでるのは珍しいそうです。

それとは別の場所に、帯状の溝に瓦がビッシリ埋まっているところがあり、学芸員の方に溝いっぱいに割れた(故意に割った?)瓦を詰め込んだものは何でしょうか?
と問えば排水施設ではないかと申されていました。時代聞き忘れ


 ●戦国時代の遺構
江戸時代遺構の下には戦国時代(後北条)の礎石建物跡がでています。これは大きな屋敷や会所などではないか? とのことです。
掘礎石の1間(礎石間)は6尺2寸5分(1.89cm)とゆうことで、京間より狭く、江戸間より広い建物になり、
八王子城でも同サイズの建物跡がでている ので、この時代の東国の建築像がみえてくるそうです。 ごっそり掘り返して御主殿の威容を妄想してみたいとおもうのは自分だけでしょうか??

それと、前回の説明会時には障子堀もでています。
野球場の造成や駐車場への転用ナドで遺構は壊滅的なのではとおもっていたのでナカナカいいものが残っていて満足です!
ココからは北条関係の遺構もまだまだでてきそうですね♩

御用米曲輪(江戸時代):江戸へ送る御用米の倉が建っていたので御用米曲輪と呼ばれています。
明治時代には宮家の御用邸ー>野球場ー>発掘調査(S54年)ー>駐車場ー>そして発掘とゆう経緯です。
他にも、本丸御殿は将軍の宿泊所のため小田原藩主は二の丸以下を利用していました。 
お茶を将軍様献上するための御茶壺道中の御旅所とでもいいますか、お茶を納める御茶壺曲輪もあります。

北条氏政公、氏照公墓所 地図
御用米曲輪 地図
JR東海道新幹線東海道線。小田急線、箱根登山鉄道小田原」駅下車 700m 6分
駐車場:線路脇に市営P、周囲にコインPあり
トイレ:あり

2012年9月9日日曜日

桔梗濠石垣修復 完成間近 (ききょうぼりしゅうふくいしがき:東京)

東京都千代田区大手町1
簡単に報告だけ・・・

以前から工事風景を何度かアップしていますが、
三の丸 桔梗濠沿いの巽櫓と大手門間で行っていた石垣修復工事はもうすぐ足場が取れそうです。

あとは大手門の修復がいつ行われるかですね。

最近、桜田門前の桜田濠で工事がはじまっているようですが工事概要はよく分かりません。
*2012/9/21桜田濠は石垣修復工事のようです。

以前のBlog
2012/8/3将門公首塚・酒井家上屋敷
2012/3/29 江戸城大手門。修復なったが・・・

2012年9月8日土曜日

佐原から江戸崎へ (さわら、えどさき:千葉、茨城)

千葉県香取市佐原イ
茨城県稲敷郡江戸崎

●佐原
凄まじい夕立にみまわれた香取神宮からほど近い佐原まできたが雨止まず、
街中を傘を求めウロウロしてから駐車場に着くと、
あれ? 雨上ってるー!?
 ガクッときましたが、佐原の町並みをのんびり歩けたし、一時はあまりの雨に諦めようとおもっていたのでよしとします。



 佐原には自分が尊敬する人物のひとり 伊能忠敬がいますが、忠敬の家は佐原の商家で、隠居してからの日本全土を歩き地図を作成する行動力は凄いです!
いまみても忠敬の地図はうつくしいですね。
今回は残念ながら、伊能忠敬旧宅は震災の影響で見学不可、被害が大きかったらしく屋根にシートが掛かっている状態でした。
 他にも、東日本大震災で被害でブルーシートが掛けられた家屋がちらほらと見受けられ、運河を埋立てた所に建てられた鉄筋建築の基礎下部が見えてしまっているところもあり地震の凄さを物語っていました。
一日もはやい復旧を切望します。

伊能忠敬記念館HP伊能忠敬旧宅 地図
JR成田線「佐原」駅下車 南東へ500m
駐車場:数ヶ所あり
トイレ :記念館ナドにあり





●江戸崎城
江戸崎土岐氏の本拠、のち佐竹氏の城になったが「関が原の戦い」絡みで廃城。
城域は、北の江戸崎中学校から瑞祥院、鹿島神社、江戸崎小学校を含み南の市民研修所あたりまで!
思い通りに予定が運ばず、時間に余裕がなくなりました、期待されている方はいらっしゃないと思いますが、今回の江戸崎城は遠景のみで失礼します。

江戸崎城 地図
電車より高速バスが便利。

佐原、江戸崎ともに霞ヶ浦・利根川をりようした水運の町で、
蝦夷・東北から船で太平洋を南下して来航、更には利根川利用で江戸まで物資が運搬できる要衝でした(利根川を霞ヶ浦に付け替えたのは徳川ですが・・・)。
豪族、大名や城を知るには物流、産業から!(情報・財力) とおもっていますので時間切れで諦めずに寄ってヨカッタです。