奈良県郡山市城内町2(郡山城址公園) 県指定史跡
城主は筒井氏であったが、大和大納言 豊臣秀長が 大和・紀伊・和泉など100万石で入城。 豊臣秀長->秀保のあと、五奉行の増田長盛の居城となる。
ところが関ヶ原の戦いの責めを負って改易。
その後は何度も城主は変わり、最後の城主は1724年に柳沢吉里が甲府城からの移封されました。
今回は、以前の写真で恐縮です。
クルマをとめ、復興櫓と復興追手門の写真を撮りはじめると、
通りかかった地元の方が「お兄ちゃん写真を撮ってやろう!」 とゆうのでカメラを渡して撮ってもらうと、最後に「ここは柳沢15万石の城だからゆっくり見てって~!」 といってました
ありがとー オジさん!
柳沢氏は明治維新まで140年近く大和郡山を治めていたので地元に根付いていうようです。
本丸には柳沢神社(祭神は柳沢吉保)が鎮座し、その奥の天守台には伝・羅城門礎石や石仏などの転用石が組み込まれています。
支城の高取城に猿石があるように、酒船石の欠片なんかも何処かに埋もれているのでしょうかね~?
郡山高城内学舎側の遊歩道をぐるりと歩き、主郭部の石垣と堀をの深さナドみながら歩くのもいいですよ。 これらが整備されたらいい眺めになりそうです! また、3月に大和郡山お城まつりが開催されます。
柳沢文庫(月、祝 休み):毘沙門郭にあり、柳沢家からひきつがれた資料や書物を展示。
永慶寺(城址南):郡山城主柳沢家の菩提寺で、柳澤吉里が甲府から国替えの際に移転、いまある山門は城門を移築したもの。
市民会館(旧奈良県立図書館)に郡山城の模型あり。
大和郡山市観光協会HP
大和郡山城 MAP
JR関西本線「郡山」駅下車 西北西へ1.1km 17分 (追手門まで。駅-城址間が城下町です)
近鉄 橿原線「近鉄郡山」駅下車 徒歩 北へ徒歩700m 9分 (追い手門まで)
駐車場:あり 追手門前に駐車できたはずです、念のため確認してください。
トイレ :あり
近くには、南に筒井城、さらに南に高取城。 西南西に信貴山城。 北東に多聞山城があり
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