神奈川県横須賀市初声町和田
三浦半島城跡めぐりの3城目、和田館。
三浦氏から派生した一族で和田に住したので和田姓を名のり、鎌倉幕府では重職をはたしますが、しだいに執権となった北条氏と対立、建保の乱で滅亡します。
鎌倉・逗子方面から国道134号線を南下「和田信号」を右折するとすぐ祠があり、そこに和田義盛旧里の石碑と案内板が建ち。 更に200mほど進み平塚農高初声分校のところに碑があります。
館はこれらの周辺にあったものと思われます。
少し離れた白旗神社(和田義盛が祭神)の石段を登っていくと、社殿の周りをぐるりと土塁が囲っていますが おそらく後世のものでしょう。
和田城 地図 PC(白旗神社のところ)
和田城 地図 携帯
京浜急行「三崎口」駅下車 バス利用「和田」バス停 (三崎口駅から北2km)
駐車場:なし
トイレ :なし
*東京杉並区の和田・堀ノ内も和田氏の館跡伝承があり、こちらは伝承のみで史跡としては微妙。
近くには、西北西に鐙摺城、芦名城。 南に新井城、三崎城。 北北東に衣笠城。 東北には怒田城、浦賀城。
城郭ページ! 関東の後北条系の城メインで、 範囲は古代山城から近世城郭まで! その他、遺跡、寺院、伝統芸能、ナドも・・・ *過去Blogは「県名」「石垣」「古墳」ナド ラベルのキーワードで検索してください。
2011年4月29日金曜日
2011年4月28日木曜日
芦名城 (あしなじょう:神奈川)
神奈川県横須賀市芦名1-11
三浦半島城跡めぐり2城目です、
この芦名の地は三浦氏から派生した芦名氏 発祥の地だそうです。
ココは鎌倉時代からの城館なので、どの時代まで機能していたのかは よくわかりませんが、大楠小学校が居館跡、火急の場合は城山に籠もったものと思われ、南に流れる芦名川が天然の堀といったところでしょうか。
南側は石取りで削られてしまっているようです。
城山の上は住宅が建ち残存遺構は絶望的。唯一 城山の下に庚申塔があり そこに建つ芦名城址庚申塔の標柱をみるとココが城址と認識できます。
次は和田城(館)です。
芦名城 地図(PC)
芦名城 地図(携帯) *携帯サイトは拡大するために契約が必要なので消すかもしれません。JR横須賀線「逗子」駅からバスで20分「大楠小学校入口」下車 東へ100m駐車場:なし
トイレ :なし
近くには、北に鐙摺城。 南に和田館、新井城、三崎城。東に衣笠城、怒田城、浦賀城
三浦半島城跡めぐり2城目です、
この芦名の地は三浦氏から派生した芦名氏 発祥の地だそうです。
ココは鎌倉時代からの城館なので、どの時代まで機能していたのかは よくわかりませんが、大楠小学校が居館跡、火急の場合は城山に籠もったものと思われ、南に流れる芦名川が天然の堀といったところでしょうか。
南側は石取りで削られてしまっているようです。
城山の上は住宅が建ち残存遺構は絶望的。唯一 城山の下に庚申塔があり そこに建つ芦名城址庚申塔の標柱をみるとココが城址と認識できます。
次は和田城(館)です。
芦名城 地図(PC)
芦名城 地図(携帯) *携帯サイトは拡大するために契約が必要なので消すかもしれません。JR横須賀線「逗子」駅からバスで20分「大楠小学校入口」下車 東へ100m駐車場:なし
トイレ :なし
近くには、北に鐙摺城。 南に和田館、新井城、三崎城。東に衣笠城、怒田城、浦賀城
2011年4月24日日曜日
鐙摺城 (あぶずりじょう:神奈川)
神奈川県葉山町堀内41-1
作家伊東潤氏の後援会でもある後北条氏歴史探求会の三浦半島城跡めぐりに参加してきました。
まずは1城目、鐙摺城は相模湾側に突き出した小山で、源頼朝公が馬で登るときに鐙(あぶみ)を地面に摺ったので鐙摺の名がついております。
石橋山の合戦に間に合わなかった三浦義澄が本陣を布き、畠山重忠と小競り合いをしたので旗立山とも呼ばれています。
主郭からは相模湾を一望でき、鎌倉方面で異変があればすくに行動でき、物見には最適です。その主郭奥に高まり(塚)の上には伊東佑親入道の供養塔があり、歴史を感じさせます。
それ以外の遺構は何もありません。
鐙摺城の後は、芦名城->和田館->三崎城->新井城->怒田城->浦賀城 とめぐっていきます。
鐙摺城 地図 (県道24号線で葉山港を目指し「鐙摺葉山港入口」信号すぐ)
JR横須賀線「逗子」駅下車、バス利用
駐車場:コインパーキングへ
トイレ :なし (葉山漁港に付帯する販売所にあるかも?)
近くには、北に住吉城。 南に和田館、新井城、三崎城。 東に衣笠城、怒田城、浦賀城。
作家伊東潤氏の後援会でもある後北条氏歴史探求会の三浦半島城跡めぐりに参加してきました。
まずは1城目、鐙摺城は相模湾側に突き出した小山で、源頼朝公が馬で登るときに鐙(あぶみ)を地面に摺ったので鐙摺の名がついております。
石橋山の合戦に間に合わなかった三浦義澄が本陣を布き、畠山重忠と小競り合いをしたので旗立山とも呼ばれています。
主郭からは相模湾を一望でき、鎌倉方面で異変があればすくに行動でき、物見には最適です。その主郭奥に高まり(塚)の上には伊東佑親入道の供養塔があり、歴史を感じさせます。
それ以外の遺構は何もありません。
鐙摺城の後は、芦名城->和田館->三崎城->新井城->怒田城->浦賀城 とめぐっていきます。
鐙摺城 地図 (県道24号線で葉山港を目指し「鐙摺葉山港入口」信号すぐ)
JR横須賀線「逗子」駅下車、バス利用
駐車場:コインパーキングへ
トイレ :なし (葉山漁港に付帯する販売所にあるかも?)
近くには、北に住吉城。 南に和田館、新井城、三崎城。 東に衣笠城、怒田城、浦賀城。
2011年4月16日土曜日
白金長者屋敷 (しろがねちょうじゃやしき:東京)
東京都港区白金台5-21-5 (自然教育園)
場所は、国立博物館 自然教育園と東京都庭園美術館のところで、その西側一帯は 「●●● 長者丸」 とゆうマンション名が多数あり 気になるところです。
屋敷の主は白金長者と ゆうことになるのでしょうが、その実態はあまりわからず 室町~戦国期にかけての豪族であったようです。
自然教育園のHPには「 太田道灌のひ孫の新六郎がこの地を治めていたことが記録されています。また、いわゆる「白金長者」であったという言い伝えも残っています。 」 と記されています。
江戸時代には高松藩 松平家下屋敷でもありました。
園内を歩くと堀を思わせる池・湿地があり、土塁も予想以上の規模で現存しています。 ですが私が訪れた昨年(2010年9月)は樹木が鬱蒼と繁っており写真にならないところばかり・・・
おまけにデジカメを忘れ 携帯電話での撮影とあいなりました~
できたら葉が繁る前にもう一度シッカリ撮影しんがら歩きをしてたいです。
白金長者屋敷 地図
国立博物館付属自然教育園HP (大学生以上:¥300)
東京都庭園美術館HP (庭園のみなら¥200 )
JR山手線、東京メトロ、東急目黒線「目黒」駅下車、東北東に500m 8分
東京メトロ 三田線・南北線 「白金台」駅下車 南南西へ400m 6分
駐車場:¥1000 (庭園美術館駐車場。最大3時間まで)
トイレ :あり
近くには、南東方向2.3kmに御殿山城。 西北西およそ3.5kmで渋谷城。 北東に江戸城
場所は、国立博物館 自然教育園と東京都庭園美術館のところで、その西側一帯は 「●●● 長者丸」 とゆうマンション名が多数あり 気になるところです。
屋敷の主は白金長者と ゆうことになるのでしょうが、その実態はあまりわからず 室町~戦国期にかけての豪族であったようです。
自然教育園のHPには「 太田道灌のひ孫の新六郎がこの地を治めていたことが記録されています。また、いわゆる「白金長者」であったという言い伝えも残っています。 」 と記されています。
江戸時代には高松藩 松平家下屋敷でもありました。
園内を歩くと堀を思わせる池・湿地があり、土塁も予想以上の規模で現存しています。 ですが私が訪れた昨年(2010年9月)は樹木が鬱蒼と繁っており写真にならないところばかり・・・
おまけにデジカメを忘れ 携帯電話での撮影とあいなりました~
できたら葉が繁る前にもう一度シッカリ撮影しんがら歩きをしてたいです。
白金長者屋敷 地図
国立博物館付属自然教育園HP (大学生以上:¥300)
東京都庭園美術館HP (庭園のみなら¥200 )
JR山手線、東京メトロ、東急目黒線「目黒」駅下車、東北東に500m 8分
東京メトロ 三田線・南北線 「白金台」駅下車 南南西へ400m 6分
駐車場:¥1000 (庭園美術館駐車場。最大3時間まで)
トイレ :あり
近くには、南東方向2.3kmに御殿山城。 西北西およそ3.5kmで渋谷城。 北東に江戸城
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