茨城県石岡市総社1-2-10 ふるさと歴史館のところ
今回は石岡市の大掾氏の府中城と松平氏の石岡陣屋です。
この門は明治維新後に小学校校門として利用され平成になってから元の場所に近い現在地に移築されました。
水戸家 徳川光圀の弟の松平頼隆が府中藩を立藩した。
陣屋門の辺りから本丸角地の土塁が見えます。
ふるさと歴史館へ向うこの道を直進し次の角を小学校に向かう。
ココを右へ折れ直進、小学校敷地内に府中城中心部・常陸国国府跡・ふるさと歴史館がある。
案内板劣化で判読不能読のため本文を載せます。
「府中城は、正平年間(1346-1370)大掾詮国により築造されたといわれる。天正十八年(1590)十二月大掾清幹が佐竹義宜に攻められ落城した。
落城後は、義宜の叔父佐竹義尚が城主となり、慶長七年(1602)佐竹氏の秋田国替後は、六郷政乗がこれを領した。その後元禄十三年(1700)松平頼隆が封じられ、この地に陣屋を置いた。
城の規模は東西約五〇〇メートル、南北約四〇〇メートル 、本丸・二の丸・三の丸のほか、箱の内出丸、磯部出丸、宮出丸、を備え、また、堀・土塁をめぐらした堅固な城郭であった。現在では、土塁や堀の一部が残されており、当時をしのぶことができる。」
陣屋門の奥に見えた土塁はこの先の部分。
右の建物の下は堀跡ののようです。
陣屋時代も堀・土塁は機能していたとようです。
国府、国分寺、府中城や陣屋関係の展示は少なく城址模型もありませんでした。
城は恋瀬川と山王川に挟まれた台地上に存在します。
MAPを頼りに現地に赴いてもピンときませんがこのパネルと照らし合わせてみるとおぼろげに全体像が見えてきます。
①六郷政乗、②皆川隆庸、③皆川成郷、④松平信綱
やはり天狗党は血気盛んで、お寺でも暴れたようです。
また、
二の丸の方にも堀が良好に残っているようです。
常陸国総社宮の社宝には漆皮軍配(伝・太田道灌奉納)。漆皮軍配(伝・佐竹義宜奉納)があります。
JR常磐線「石岡」駅下車、西へ徒歩12分
駐車場:ふるさと歴史館
トイレ:ふるさと歴史館
近くには、南東に外城。東北東に常陸国分寺跡。北に国分尼寺跡。西に志筑城、志筑陣屋。南西にに中根長者屋敷。東北東に竹原城がある。