2009年4月28日火曜日

長岡市郷土資料館 (あやしい天守:新潟)

新潟県長岡市

この資料館は長岡城内にあった櫓がモデルらしいが、
当の櫓を知らないのでよくわからんです!?
早速 中の受付けで料金を払います、
入ってみると わたくし好みの鎧、兜、刀、河合継之助で有名なガトリングガンの模造品に心を躍らせ、山本五十六関係の遺品、等を見ながら最上階へ・・・
ここからは長岡市を見下ろすことができます、新幹線のホームが目立つので今は亡き城の位置は大体掴めます。

その後、
「山本五十六記念公園」に寄り、時間外で閉館の「河合継之助記念館」、
栄涼寺で「河合継之助」の墓参りをしてその日は終了しました。

本丸の城址碑は長岡駅前にあり、二ノ丸碑は「厚生年金会館」の解体のため塀に囲まれて見られません。
城址の模型は「坂之上小学校」にある模様。

取り敢えずは怪しい天守が拝めたので満足して帰ってきました。

長岡市郷土資料館
怪しい小天守

蒼柴神社の牧野家












二の丸発掘中


郷土資料館 地図)

2009年4月13日月曜日

3日経ったらは見頃に、鶴ヶ城(つるがじょう:福島)

福島県会津若松市
サクラと天守
北出丸の外から

満開です!
天守下から本丸、奥は茶室「麟閣」

阿弥陀寺に移築された御三階櫓
4月2日若松市役所のHPの開花情報画像ではうっすらと雪。

9日に現地へ行ってみると梅が盛りで桜はツボミ。

13日の本日は快晴、満開で絶好の花見日和で、
本丸内の茶室「麟閣(写真下の塀の中。千家ゆかり)」で桜を楽しみながら抹茶とお菓子をいただいて参りました。

鶴ヶ城へ行くなら今週中が見頃ですよ!

追加:かって本丸にあった唯一の遺構は七日町駅近くにある阿弥陀寺御三階櫓」。
本丸に櫓台が残されていて、そこに新築で復興する運動をしているようです。

2009年4月11日土曜日

鶴ヶ城の桜はまだ蕾でした(つるがじょう:福島)

福島県会津若松市追手町
4/10の会津若松はまだまだ梅が盛りです。
ですが、
数日間の初夏のような日が続いたので明日あたりはいい感じに開くのではないですかね~
実は、
また現地で仕事なので、梅と約1000本の桜を同時に楽しめたらとウキウキしているのでありました。
撮る時間があれば写真をアップします。

鶴ヶ城で4/10から5/6まで鶴ヶ城 夜桜スペシャルライトアップ

鶴ヶ城特別夜間登閣 :2009/4/17(金)・4/18(土)・4/19(日)
 4、5層展望フロアのみ。 18:00~21:00 (20:30 入場締切)
入場料金 : 大人 200円、子供 100円

2009年4月7日火曜日

足利政氏館跡(あしかがまさうじやかた:埼玉)

埼玉県久喜市本町
案内板
甘棠院
この先に堀がある
立派な堀が、
門前の道も堀跡っぽくみえます。
古河公方であった足利政氏は息子と折合いが悪く永正の乱小弓公方分裂など一族の問題を抱えたせいなのか? 自分の館を寺甘棠院とし 最期まで暮らしました。

関東公方は自立性が強く将軍家関東管領との軋轢と古河公方、小弓公方、堀越公方 の分裂。関東ナンバー2である関東管領 上杉氏の思惑など関東はドロドロ状態だったのが災いして、駿河を経て伊豆から北条氏が台頭してくるまで無用な戦いを続けていました。

鎌倉公方-----古河公方-----------公方家滅亡
     |     |__小弓公方--江戸幕府下で喜連川氏として再興
     |
     |___ 堀越公方(幕府から鎌倉公方として派遣)


寺の周囲に、かつては水堀であった空堀と、埋められた堀を思わせる道路が今に雰囲気を伝えています。
写真の山門手前が堀と思われ、先に見える門の両脇に現存の堀があります。
寺の西側・北側にも堀が続いてますが このあと仕事があったのでパスしました。


尚、お寺の中に入らないと確認できない遺構もあります、これを見学するにはお寺さんに申し出ないとならないのでコチラもパスしました。

交通:JR宇都宮線、東武伊勢崎線「久喜」駅下車、東北1.3km程。
西口からバス「甘棠院入り口」下車。
足利政氏館(livedoor 地図情報)

2009年4月3日金曜日

カタクリと片倉城 (かたくらじょう:東京)

東京都八王子市片倉
カタクリの群落
沼から郭を見上げる










カタクリの花と片倉城、一挙両得、二兎を追いに行ってきました~
下方は沼であったと思われます
ここは都内のカタクリの名所の一つになっていて、この冷え込みの中カメラマンがゾロゾロと歩いてきます <--わたくしもこの中の一人なんですが、、


ここもかつての沼では?
ところ残念
反り返った花が特徴のカタクリなのに、真冬並みの寒気がやってきて花はすぼんだまま、まるでホタルブクロのよう
ダメだ~ と心でボヤキつつ撮りましたが・・・
当然、満足いく写真はありません。
城址は、元は3方を池沼で囲まれた城に適した地形で、
東京の深大寺城や神奈川の大庭城に似ている印象を持ちました。
あまり、北条流だの武田流築城術だのと考えるのは好きではありませんが、
云ってみれば関東管領流 <--そんなのあるかいな??
堀の横矢もいい感じで、良くぞ破壊しないで残してくれました。

上杉氏と後北条氏の取り合いの末、北条勝利後に廃城になったようです
戦時中は高射砲を据えつけたため、削平されているところもあるかと思います。

京王片倉駅から城址
JR横浜線「片倉」から徒歩5分、京王線「片倉城址公園」徒歩6分
駐車場:4~5台分あり




片倉城址公園 地図