画像は千鳥ヶ淵から北の丸を見上げたところ、下部は腰巻石垣、中間 部は土、上部は鉢巻石垣で、江戸城内堀の西の丸から北の丸の西側はおおよそこんな造りになってます。この辺りを見る度に思うのですが、人足が掘ってる最中に地下水が噴出したり岩が出てきたりで難工事だったとおもいます~ ともかく昔の人はスゴイ!!
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2008年4月9日水曜日
桜の江戸城 千鳥ヶ淵。(ちどりがふち:東京)
画像は千鳥ヶ淵から北の丸を見上げたところ、下部は腰巻石垣、中間 部は土、上部は鉢巻石垣で、江戸城内堀の西の丸から北の丸の西側はおおよそこんな造りになってます。この辺りを見る度に思うのですが、人足が掘ってる最中に地下水が噴出したり岩が出てきたりで難工事だったとおもいます~ ともかく昔の人はスゴイ!!
2008年4月8日火曜日
全山、郭で武装された皆川城 (みながわじょう:栃木)
栃木県栃木市皆川城内町
東京から東北自動車道を走り、栃木I・C手前の左手に見える削平された山が皆川城です。山1つが階段状の腰郭が見え、なにやら楽しげな山城ですね~いつも高速から眺めているだけで現地には未だ行ってないですが、今年こそは訪れようと思ってます・・・
城址遠望だけですが、走行中に見るとこんな感じですよ!
皆川氏の居城で、しだいに後北条氏に圧迫され その傘下に入りました、豊臣秀吉による小田原合戦が起こり、家臣を連れ小田原城内の守りについていた皆川広照は早々に秀吉に通じて安堵されたが、既に皆川城は落城の憂き目にあっていました。
城址遠望だけですが、走行中に見るとこんな感じですよ!
皆川氏の居城で、しだいに後北条氏に圧迫され その傘下に入りました、豊臣秀吉による小田原合戦が起こり、家臣を連れ小田原城内の守りについていた皆川広照は早々に秀吉に通じて安堵されたが、既に皆川城は落城の憂き目にあっていました。
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